二週間
二週間がたちました。
あの日は自宅におり、揺れを感じたと思う間もなく電気が消え、
市内ほぼ全域が停電となりました。
非常用のラジオを聴きながら、繋がらない携帯を何度も何度もかけなおし、
まずは母の無事、そして家族の無事を確認。
情報源はラジオだけ、何が起こっているのかわかっているようでわからず、
ここにも大津波警報が出ておりましたので、
市から流れる放送に耳を澄まし、サイレンの音に脅えつつ暗闇の夜を迎えました。
電気が復旧したのは翌日未明の2時頃、
真っ先につけたテレビで目にしたのは火のまわった気仙沼港。
それだけでもなのに、明るくなってから映し出される光景は
こんなことが現実に起こるのかと、信じられないものばかりでした。
尊い命が沢山なくなりました。
被災された皆さまに心よりのお見舞いを申し上げるととともに、
亡くなられた方々のご冥福を深くお祈りいたします。
二週間がたち、被災地も少しずつの復旧がはじまり、
わずかながらでも復興の兆しが見えようとしています。
みんなの顔に笑顔が戻る日はまだまだ遠いでしょうが、
一日も早くその日が訪れること、心より願っております。
ここにもほんの少しだけ生活の不自由がありますが、
不平を言うことなく惑わされず、粛々と日々を過していきたいと思っております。
最後に、原発での危険な作業に従事してくださっている方々に、
心よりの感謝を申し上げます。